余裕ぶって内心ジタバタしてたら萌える、って言う妄想。
――――――
「ぅぎゃ!!」
本棚の角に頭をぶつけて、一護は尻餅を付いた。
痛い、こぶができた気がする、など悠長なことを考えている場合じゃない。
手に持っていた数冊の本が、バサバサと音を立てて床に落ちた。
尻餅を付いた原因、修兵が一護に覆い被さるようにして、一護に影を作った。
ふと、修兵は考えた。
自分の初恋はいつだっただろうかと。
ふむ…と記憶を辿って、思い当たる節はないこともなかった。
あれは統学院に入学して、間もない頃だったように思う。
同じ学級で、席も近かった。
艶のある髪は長く、胸もそれなりに大きくてスタイルが良かった。
唇には常に紅が差してあって、声の高い女。
外見だけ見て、良いな、と思って声を掛けた。
ルックスだけは生まれ付き恵まれていたためか、女は簡単に首を縦に振った。
ああ、女なんてこんなもんか。
その時、そう思ってしまったのが全ての間違いだった。
例えどんな女でも、一声掛ければあっさり横を歩き、もう一声掛ければ腰を振る。
女なんて簡単で、女なんて軽かった。
それから、修兵の女性との付き合い方は、それは酷いものだった。一週間まともに同じ女性と歩いていたことがあっただろうか。
とっかえひっかえ、変えに変えて、性の欲求を満たすばかりだ。
言葉はいらない、自分の下で、腰を振ってくれるだけで良い。
ふと、修兵は考えた。
こんなのを、本当に初恋だと言っても良いものか、と。
修兵の初恋のイメージと言ったらこうだ。季節外れに自分の学級に現れた、美人の転校生。
あっという間に学年のアイドルとなって行く彼女は、雲の上の存在で、まともに声も掛けられない、なんとも甘く切ない恋心。
あんなの、初恋なんかじゃない。
だけど、あんな曲がりくねった経験をしておいて、今更「初恋はまだです」なんてダサ過ぎる。
そんな時、彼女が現れた。
春風に乗って、そう、まるで春一番のような嵐を起こして現れた彼女。
目を、奪われた。
キラキラ光る、独特の髪の色にも。キラキラ光る、独特の目の色にも。
彼女自身から溢れ出るような、その全てに心臓が揺れた。
「初恋は実らない」なんて話を聞いて、正直焦った。
統学院時代からの酷い恋愛事情の一つを『初恋』にするには、だいぶ違うような気がしたが、彼女との恋を初恋にしてしまって、実らないのは大いに困る。
そうだ、自分は彼女に恋をしている。
甘く、切ない恋心。そうだ、初恋のイメージど真ん中じゃないか。
でも初恋は困る。正直、困る。
修兵は、統学院時代の女性を初恋に仕立て上げることにした。
本物の恋を成功させるのに、これくらいの記憶操作は必要だ。
有難く思え出席番号十五番の女、俺の初恋になれたのだ。
精々、俺のこれからの恋を成就させる存在であってくれ。
そう、これは初恋なんかじゃない。
だから。
「ってー……」
「大丈夫か」
「大丈夫じゃねぇ!! いきなり突き倒して何考えてんだっ」
「突き倒したんじゃねぇ、押し倒したんだ」
「どっちも同じだっ!!」
同じじゃねぇよ、押し倒した方がエロいじゃねーか。
修兵は思ったが言葉には出さず、行動で表すことにした。
「ぅわっ、顔! 顔、近いっ」
「うるせー、ちょっと黙れよ」
「黙るか、バカっ」
「ここ資料室だぞ」
一護はうっと言葉を詰らせた。
そう、ここは瀞霊廷内の巨大資料施設。図書館みたいなものだ。
一護が頭をぶつけた本棚にも『館内、騒音・飲食厳禁』と力強い貼り紙がされている。
「いきなり声かけてきたと思ったら、何なんだよ」
「チューされろ」
「バっ!! …カじゃねーの!?」
少し薄暗い空間の中でも、一護の顔が真っ赤になるのが分かった。
そんな顔しても可愛いだけだ。ああ、キスしたい。
自分に会う度に怒鳴り散らしている割に、意外と小さい口。
自分に会う度に鋭い目付きで睨み上げてくる、意外と大きい目。
こんな近くで見ないと気付かない発見に、普段どれだけ良い付き合いができていないかが分かる。
女を喜ばせるだけの、経験もテクニックも豊富だ。
だが、真正面の恋愛をするには、経験がなさ過ぎた。
何て言ったら、君は俺を見てくれる?
どうやって抱き締めたら、君は俺を抱き締めてくれる?
君と向き合うには、分からないことが多過ぎる。
「好きだ」
「…それ、は、前に聞いた」
「じゃあ良いだろ、手退けろよ」
「知ってたらさせんのか!! 可笑しいだろ」
それはそうだと思うけど、じゃあどうしたらさせてくれる。
「好きなんだよ!! ……どうしたら良いか、分かんねーけど、好きなんだよ、」
「いいから、そこ退けよっ」
「よくねぇ! 俺は、今ここでキスしたいし、ぶっちゃけお前を脱がしちまいたいんだからな!!」
「こっこんな所で何言ってんだ!!」
「……ここじゃなきゃ、良いのかよ」
「違ぇよ!! ああ、もう、修兵さん色々違う! 違う違う違うっ」
ブンブンと頭を横に振る一護だが、修兵には何が違うのか分からない。
一護は修兵の胸に手を突っぱねるが、退いてなんかやらないと腕に力を入れてやった。
更にもっと身体を押し付けてやれば、一護は俯いてしまった。
「こんなに、好きなのに」
「俺は……同情やなんかで、流されてキスなんかしてやらないっ」
「……そうだな、それは良い心掛けだ」
「どっちなんだよ。キスさせろとか、良い心掛けだとか…」
「お前とキスはしたい、もっとエロいこともしたい。けど、安い一護は、嫌だ」
後の言葉を、修兵がとても悔いるような表情でいうものだから、一護は唖然としてしまった。
そして、一護は察する。
自分だって恋愛の経験なんて、言ってしまえば、殆ど皆無だ。
だけど、目の前の男は、パンチの効いた外見で、なんともふざけた刺青を顔面に入れている男だけれど。
昔の自分を、悔いて、恥じて、虚しさを感じている。
今、自分が目を閉じたら、この男は喜んでくれるのだろうか。
「一護、お前俺のこと嫌いか」
「…嫌いだ」
「本当かよ」
「……わっ分かんねぇよっ、」
嫌いじゃない。
だけど、この気持ちが好きとか、恋か愛かと聞かれても、正直今の一護は分からない。
只、何だかんだで傍にいて、だけど少し遠くて。
修兵から受け取る甘さばかりで、自分は時々、切ないばっかりだ。
「じゃあ、お前初恋ってしたか」
「は? 何言って…」
「いいから、答えろよ!」
訳の分からない問いに、ムッと口を尖らせた。
修兵にしてみれば、その尖りにブチュッとしてやりだいのだが。
「たぶん、幼稚園ぐらいの時にしたようなしてないような」
「くそっ!! 羨ましい奴め、どこのどいつだ!!」
「何なんだ、本当にっ」
「ああ、違う、羨ましいけど、そんなこと言いたいんじゃなくて」
修兵は頭を乱暴に掻いた。
そして、一護が言葉を発する間もなく、細い身体をギュッと抱き締める。
「放して」と小さく聞こえたが、修兵は無視した。
「きっと、大丈夫だ」
「何が、だよ」
「俺もお前も、初恋は当の昔に経験済みだ」
「俺、ちょっと微妙なんだけど」
「良いんだよ! 俺だってそう言うことにしてんだから」
「うわぁ」
「……だから、」
初恋は、実らない。
「初恋は実らないけど、俺たちは初恋じゃないから」
「……」
「きっと、大丈夫。絶対に、上手くいく」
フワッと微かに香る趣味の良い男物の香水。
頬に当たる暖かで柔らかな感触に、一護は目を見開いた。
顔色を伺うようにオズオズと放された身体は、力なく後ろの本棚に寄り掛かった。
「今は、これで勘弁な」
修兵が立ち去って、一人になった一護は修兵の唇が触れた頬を指先で撫でた。
顔が熱い。身体が火照っているように、ふわふわとしている。
認めてしまった方が楽かもしれないけれど、認める勇気がない。
「……くそ、どうすりゃ良いんだよぉ」
きっと、上手くいく。
この恋は初恋じゃないから。
END
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