剣一と弓親。
剣八が可哀想になってしまったシリアス。ここぞと言う時にまさかの放置。
本当ゴメン。
――――――
「だっ駄目だ!」
大きな腕に抱かれて口づけをして。
死覇装の襟が肌蹴て、首筋に唇を寄せられた時、ハッとして胸板を押し返した。
「一護」
「あ……ご、めん」
胸板に突っ張った手をサッと引っ込めて、肌蹴た襟元を強く握った。
ある程度の覚悟はしていたつもりだったのに。
直前になって怖くなった。
触れ合うことにだけではない。もっと根本的なところ。
「嫌か」
「嫌、とか……そんなんじゃない」
「怖いか」
「少しは怖いけど、それも違う」
じゃあ何だ、と目で訴えても、一護は気まずそうに視線を伏せる。
大きな手で髪を撫でられ、そのまま頬に触れられる。
心臓が高鳴って、それでも心は休まる。これがきっと、好きだということなのだろう。
こんなにも好きなのに。
「剣八……ごめんっ、」
「謝るな」
耐えられなくなったのか、一護は立ち上がり逃げるように部屋を出た。
追い掛けるべきか迷って、剣八はそのまま座っていた。
本当は追い掛けて抱き締めてやることが正解だったかもしれない。
けれど、そうしなかったのは、できなかったのは、多少なりにも頭とは裏腹にショックを受けていたからなのかもしれない。どんな理由があるにせよ、拒まれてしまった男としてのプライド。
無理やり抱いても良かったが、それで関係が断たれるのは嫌だから。
逃がしても戻って来るならそれで良い。
「小せぇのは、器か、肝か……」
「……最っ、低」
部屋を飛び出し、自室のある居住棟の壁に手を付いた。
上がる息を整えようとしても、溢れる涙が今にも零れ落ちそうでなかなか落ち着かない。
あんなにドキドキしたのに。
全てを任せても良いと心の底から思えたのに、信じ切れていなかったのは自分の方だ。
命さえあれば良いと、大事にして来なかった自分の身体。
こんな身体を、とても剣八には見せられない。
「痛い……痛いよ、剣八っ」
身体のあちこちが痛い。
命さえあれば良いと、無頓着に投げ出して来た体中に残る傷跡。
一護は壁に背を預け、その場にズルズルとしゃがみ込んだ。
「……あれ、黒崎かい?」
「本当だ! いっちーだ!」
呼ばれた方をゆっくりと振り返る。暗がりに歩いて来たのは、弓親とやちるだった。
いつも一緒のはずの一角はおらず、同じ十一番隊でありながら弓親の肩にやちるがぶら下がっているという珍しい組み合わせである。
弓親はどこかで飲んで来たのか、頬が朱色に淡く染まっていた。
「こんなところで何してるの。気分でも悪い?」
一護は小さく首を振った。
「うちの隊舎に泊まる様だったから、てっきり隊長とどうにかなってるものだと思ってたけど」
「……ぅっ」
思い出される失態に、一護の茶色い目は途端に潤んで嗚咽が漏れる。
予想しなかった反応に弓親は目を見開いて慌てた。
「え!? 嫌だ、ちょっと泣かないでよ!」
「あー! ゆみっちがいっちー泣かした! 剣ちゃんに言っちゃお~」
「副隊長、それ僕が死んじゃいますからっ! ほら、これで拭きなよ」
懐から綺麗に畳まれた手拭いを取り出して一護に差し出す。
皺一つないそれを汚すのに一瞬躊躇したが、生憎自分は持ち合わせていなかったので素直に使わせて貰うことにした。
目に当てると忽ち涙が滲み、上品な藤色に染みができた。
「……副隊長、先に戻っててくれません?」
「えー? いっちーとお話するんでしょ? あたしもしたい」
「ここからは大人の話ですから」
「ちぇっ、お店に戻ってツルりん起こして来ようかな」
「ああ、そうして下さると助かります」
やちるは弓親の肩から軽々と屋根に飛び移ると、そのまま屋根伝いに来た方角を戻って行った。
弓親は一護の隣に腰を下ろして空を見上げる。今夜は形の良い満月だ。
「さっきまで呑んでたんだ。一角が潰れちゃって置いて来たんだけど」
「そう、なんだ」
「君は? 隊長と一緒だったんじゃないのかい?」
一緒だった。だけど、逃げて来た。
拭ったはずの涙がまた溢れて来て、慌てて手拭いで目を覆う。
惨めで、悔しくて、誤魔化しきれない思いに力の入る手を弓親に止められた。
「そんなに擦ったら、赤くなっちゃうじゃない」
「……弓親は、綺麗なものが好きだよな」
「うん? そうだけど」
突然の問いかけに、弓親は少し戸惑いながら答えた。
一護は手拭いで目を隠したまま顔を上げなかった。
「一角もあれで結構綺麗なもの好きって言うか、面食いだよ」
「何か、意外」
「男って何だかんだでそういうもんじゃない? 勝手なものでさ、口では格好良いこと言ってても、本能や腹の中では綺麗なものを求めてる」
弓親の言葉に、一護は益々落ち込んだ。
やっぱりそうなんだ。予想とまではいかないが、薄々そんなことを思ったりもしていた。
自分は剣八には相応しくない。
こんなに好きだけど、大好きだけど。剣八をこれ以上落胆させるわけにはいかない。
そんなこと、自分が耐えられない。
「俺っ、俺……剣八とっ、うっうぅ」
「ちょっと、喋るか泣くかどっちかにしなよ」
「わっわっ、別れる!」
「……何、頭でも打った?」
「違う! 違う! 俺は真面目にアイタッ!!」
泣きじゃくる一護の頭を、弓親は容赦なくスパァーンッ!! と叩いた。
「そんな馬鹿なこと、言うもんじゃないよ」
「だって」
「そんなこと言って、どうせできやしないんだから。君、隊長のこと大好きじゃない」
サラッと言われてしまいたじろぐが、真実を突かれてしまい、何も返せなくなる。
真っ赤になった顔で弓親を睨むが、そんな顔を見て弓親は益々溜息を吐いた。
「何があったかは知らないけどさ」
一護はまた死覇装の襟元を強く握った。
唇を噛んで、思い出される後悔が今にも心臓を打ち砕きそうだ。
「俺、さ……身体に、傷跡があるんだ」
「へぇ」
「一つや二つじゃない。胸と腹に刺し傷があるし、背中とか超デカイ刀傷あるし……見てみる?」
「いや、隊長に殺されちゃうからやめておくよ」
流魂街にいた頃にやられたものだ。
生き残るために刀を振り回して、前から横から後ろから斬られて。自分でも、よく生きていたと思うほど。
でも、流魂街を出て友ができ、恋をして。
こんなことになるなら、もっと身体を大事にしていたし、化膿させて傷の残るような真似もしなかっただろう。後悔先に立たずとはこのことか。
恋が愛になった時。触れ合う時。こんなにも、あの頃の自分を殴ってやりたいと思ったことはない。
「こんな傷だらけの身体、剣八に見せられない。きっと、がっかりする」
がっかりさせて、拒絶せれて。傷付くことが怖い。
「やっぱり君、馬鹿だね。馬鹿も大馬鹿だよ」
「ばっ、馬鹿馬鹿言うな!」
「隊長をそんな器の小さい男だと思ってるわけ? そんなこと本気で思ってるんだったら、君の意志なんか関係なく隊長の前でひん剥いて転がしてやる」
「弓親だって男は綺麗なのが好きって言ったじゃん!」
「傷が何だって言うの? そんなの死神やってれば珍しくなんかないし、隊長が付けた傷だってあるんでしょ」
確かに、一護の技術の高さに目を付けて、散々剣八に追い回されて本気で斬られた傷がある。
丁度、胸の傷がそうだ。
あの時は本当に痛くて悔しくて、血反吐を吐きながら自分も剣八に斬りかかった。
「その傷見て引くような隊長なら、僕は十一番隊を出るよ」
「え、」
「そんな器の小さい男の下に就くなんてゴメンだってこと」
これはきっと本気で言っているのだろう。
「どうなるか分からないことを恐れて泣くなんて、愚かの極みさ。泣くんなら、それ相応の理由がなければ涙が勿体ない」
「……」
「隊長が今がっかりしていることを強いて挙げるなら、君に逃げられたことだろうね」
「な!? なんで逃げて来たって」
「あぁ、やっぱりそうなんだ」
にんまりと人の悪い笑みを浮かべて一人頷く。
誘導尋問に乗せられたような気になって、一護は恥ずかしそうに弓親を睨んだ。
弓親は「ごめん」 と謝りながらまだ笑っている。
「拒絶されたら僕のところおいで。慰めてあげる」
「……遠慮しとく」
一護は立ち上がってパンパンとお尻を叩いた。
「隊長のところ、戻るの?」
「……うん」
「へぇ~、抱かれに戻るなんて君も結構積極的なんだね」
「なっ!! アホなこと言うなっ」
顔を真っ赤にして怒る一護を、弓親は心底可愛いと思う。
隊長を心から愛するこの女を、心底綺麗だと思う。
「弓親!」
「ん?」
「……ありがと」
「ゆみっち~」
「副隊長、お帰りなさい」
「あれ、いっちーは?」
一角を引き摺りながらそう聞いて来るやちる。
弓親は引き摺られている一角に意識があるか確認して立ち上がった。
「隊長のところに戻りました」
「そっかぁ~、良かった~」
ニコニコと嬉しそうに言う姿は、父親の恋愛を応援してる娘のようだ。
やちるはきっと、本気で一護を母親にでもしようとしているに違いない。
「酔いが覚めちゃいました。もう一軒梯子したいなぁ」
「何人かまだお店で潰れてたから、連れて来ようか」
「良いですね。ほら一角、起きて! もう一軒行くよ!」
綺麗に剃られた頭をペチペチ叩くと、一角が顔を上げる。
弓親は空を見上げ、満月に誓った。太陽が昇ったら、真っ先に一護と剣八をからかいに行ってやろう。普段そんなことしたら命の保証はないが、相談料だ。それぐらい、許してくれても良いじゃない。
END
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